中国の自動車メーカーがシミュレーション試験に過度に依存し、実車試験を圧縮しているとの衝撃的な報道が広がり、短期間で開発された、いわゆる「速成車」(短期開発車)の安全性や品質をめぐって懸念が高まっています。
8月19日、第一財経は、一部の自動車メーカーが新車の開発期間短縮とコスト削減を目的に、実車による試験を全体の20%にとどめ、残る80%をシミュレーションで代替していると報じました。
第一財経によると、2026年上半期に中国市場で投入された完全新型車は約165モデルに達し、10年前の2016年同期の90モデル未満から大幅に増えました。従来のエンジン車では、新型車の開発に通常3~5年を要していましたが、現在では一部車種で2年前後まで短縮されており、年間に複数の新型車を投入する方針を掲げるメーカーもあります。
こうした開発スピードの向上は、単なる開発効率の改善だけによるものではありません。より大きな議論を呼んでいるのが、実車試験を大量のシミュレーション試験に置き換え、検証期間とコストを圧縮する動きです。
第一財経の取材によると、コスト削減を目的に、実車試験を20%にとどめ、残りの80%をシミュレーションで実施しているメーカーもあるといいます。
典型的な例として挙げられたのが、ドアハンドルの耐久試験です。ある新エネルギー車メーカーでは、合計1万回の試験を行うことになっているものの、実物を使った試験は2000回だけで、残る8000回はコンピューター上のシミュレーションで実施しているとされています。
現在の中国国家標準では、自動車の信頼性走行試験について、エンジン車は3万キロ、新エネルギー車は1万5000キロという最低走行距離が定められています(最近、新エネルギー車についても3万キロに引き上げられました)。一方で、新型車1車種あたり何台の試験車を用意すべきか、同一項目を何回検証すべきか、あるいはシミュレーション試験と実車試験をどの程度の比率で行うべきかについては、統一的な規定がありません。
このため、試験の実施方法については、メーカー側に比較的大きな裁量が残されています。
ある合弁メーカーの開発エンジニアによると、メーカーによっては特定のハードウェア試験に試作車を1台しか投入せず、その1台が基準をクリアすれば、その試験項目を終了するケースもあるといいます。試作車の台数や同一試験を繰り返す回数については、基本的に各社の社内基準に委ねられています。
さらに踏み込んで、開発・検証工程そのものを削減するケースも指摘されています。
第一財経は、北京現代の李鳳剛総経理の話として、自動車部品は通常、設計検証(DV)と量産検証(PV)の2段階を経る必要があるものの、一部ブランドでは市場投入を急ぐため、DVとPVのどちらか一方しか実施していないケースがあると指摘しています。その結果、量産時の品質のばらつきや、生産の一貫性の低下につながる可能性があるとしています。
これこそが、「速成車」をめぐる議論の核心です。
もちろん、シミュレーション試験そのものに問題があるわけではありません。デジタルツインを活用すれば、衝突安全、熱マネジメント、バッテリーの熱暴走、さらには実環境では再現が難しい極端な条件まで、仮想空間上で検証できます。試作車の台数や開発コストを大幅に削減できる点でも、その効果は大きいとされています。
問題は、シミュレーションが実車試験を補完しているのか、それとも本来実施すべき実車検証そのものを置き換えているのかという点です。
東風汽車傘下の新エネ車ブランドである嵐図汽車(VOYAH)の盧放董事長は、「速成車」かどうかを判断する際、単に開発期間の長短だけを見るべきではなく、必要な検証プロセスがすべて実施されているかどうかが重要だとしています。開発期間を短縮しても、法規や業界標準で求められる試験をすべて実施しているのであれば、それは開発効率の向上と評価できます。一方、試験項目を削減したり、必要な検証工程を飛ばしたりして発売時期を前倒ししているのであれば、文字通りの「速成車」といえます。
自動車はスマートフォンとは異なります。ソフトウェア上の不具合であれば、OTAによるアップデートで修正できる場合もありますが、シャシー、サスペンション、車体構造、駆動用バッテリー、さらには量産品質の一貫性に関わる問題は、検証が不十分なまま市場投入されれば、発売後にソフトウェアだけで解決することは困難です。
中国自動車市場で新型車の投入競争が激化するなか、本当に問われるべきなのは「2年間で1台の新車を開発できるか」ではなく、その2年間で「何を省いたのか」です。
今回の報道では、第一財経は該当する自動車メーカー名を明らかにしておらず、この点についても世論から不満の声が上がっています。具体的な事実を把握しているのであればメーカー名を公表すべきだとの意見もあり、メーカー名を伏せたままでは、適切な開発・検証を行っている自動車メーカーまで疑いの目を向けられる一方、問題のある自動車メーカーは社会的な監視を免れることになるとの批判が出ています。
